少し寄り道をしてから医学生になった僕

大学卒業(文系)→社会人(4~5年)→医学生(現在)

川上から流れてくる赤ん坊をどこで、いつ救うか

 

 新型コロナウイルスの影響を受けて、医学生の学びの場も最近、再び制限がかかり始めている。

 

 医学部での6年間はおそらくどこの大学においても概ね、

1年生:他の大学と同じような教養(医学に関することはほとんどやらないらしい)

2〜4年生:基礎医学(正常な人体の仕組みとは等)

5,6年生:病院での実地研修(各診療科をそれぞれ約1ヶ月間見学させてもらう)

という形で構成されていて、病院での実地研修が始まる前の4年生の秋頃と6年生の冬に国家試験がそれぞれある。

 

 僕は少し前から病院での実地研修が始まったのであるが、実際に中止になってみると、自分は結構、病院での実習が好きだったのだなと感じている。

 

 病院での実習では、入院している患者さんの中から1名を割り当てていただき、先生方の朝夕の診察に同行させてもらいながら、また時には自分ひとりで病室にお伺いして、お話を伺ったり、大変恐縮ながら”診察の真似事”をさせてもらい、また、カルテを見て、主治医の先生方がどのような治療を行っているのかを理解しつつ、1〜3週間かけて、入院時の経過をレポートにまとめるというのが多くの診療科における一般的な流れとなっている。

 

 正直、学生の僕の知識では、”今、何が行われいるのか”を理解するのが一杯一杯で、もし仮に担当する患者さんの容体が悪化して、何か対処しなければ!という状況に直面したとしても本当に文字通り何もできない等々で、色々と自分の至らなさを思い知るのだけれども、それでも、「自分が何のために、誰のために手を動かさなければいけないのかがはっきりしている」点は医療の”現場”ならではのことで、すごく魅力的だなと改めて感じている。

 

 このように感じるのは、前職では全く違う立場で働いていたからなのかなとも思う。僕が働いていたのはほんの数年かついち若手の職員としてであったから、あまり全てを知ったようなことは言えないのだけど、中央省庁での仕事はたしかにスケールの大きな仕事であった。自分が担当していた仕事での出来事が翌日の全国紙の一面なんていうことが日常茶飯事で。ちなみに、そのような場合、その翌日に大臣が「その問題について大臣としてはどう考えていますか?」といった質問が他の記者からなされた場合に、「そんなこと知りません、、、」では大惨事になってしまうので、夜な夜な、その問題に関する資料とどうお答えいただくかの発言メモを整えることも職員の大事な仕事のひとつであった。もちろんそのような仕事は急に発生するので、今日は予定があったのに、、、等、苦い思い出も多数あったりする。そんな影響力の大きい&日本国政府という巨大な組織での仕事であったがために、ひとつひとつの発言に関しても、外部に出すものに対しては、とにかく厳重なチェック体制(決裁を取るべき上司の数がかなりの数にのぼる)が敷かれていたり、関係者がかなり多くにのぼっていた。そのため、結局、自分が担当する目の前のひとつの仕事が誰のため、何のためにやっているのかがすごく見えにくかった。頭のいい人なら就活の時に見抜けていたのかもしれないけど、お恥ずかしながら僕は入職して数年経った段階で、初めてこんなふうに感じて、それが今の転換のきっかけのひとつになっていったのだと思う。

 

 医療現場も行政もどちらもそれぞれ必要な仕事であることはほぼ間違えがないと思う。僕の中でのイメージをもう少し具体化してみると、少し不謹慎かもしれないが、たとえば、川上から赤ん坊を投げ続けている人がいて、その赤ん坊をどこからいつ助けるのかの違いのような気がする。川下にいる人が、とにかく今、目の前に赤ん坊が流れて行ってしまっている子がいるのだから、つべこべ言わず、ひとりずつ、とにかく助けていくのが医療の現場の立場。少し時間はかかるけど、川上まで犯人を探しに登って行って、赤ん坊たちを投げるのをやめさせる、そんな人が二度と出てこないように川に柵を作るをするのが行政の立場。

 

 どちらも必要な仕事であることは疑いがないのだけど、自分がどちらの立場でその問題に取り組みたいのかは、けっこう人によって分かれるのかなと思う。その決断にそれぞれ絶対的な正解はなくて、最後は自分の価値観と要相談で決めるべきものなんだろうか。

 

 すごく幸運なことに僕は両方の立場をそれぞれ経験できそうで、また、自分の価値観としても近い道に自分を置くことができそうで、それを許してもらえた環境の改めて感謝。とはいえ、ふと病院のカルテを覗いて、患者さんの一覧をざっと眺めると、顔と名前が一致する方は本当にごくごくごくごく一部であることにも気づいてしまって、、、

 

 川下にいながら、川上の問題にもアプローチできる方法はまた改めて考えてみないと思いつつ、今日はこの辺で。