少し寄り道をしてから医学生になった僕

大学卒業(文系)→社会人(4~5年)→医学生(現在)

30代になって学生に戻ると

 僕は音楽にしても、スポーツにしてもかなりミーハーなので、ご多分に漏れず、最近、北京オリンピックがマイブームである。

 

 個人的には、とくにカーリングにすっかり心を奪われている。最初は、ふとテレビをつけたときに、美人な選手たちが楽しそうにプレーしているなというなんとも安易な入り口からだったのだが、試合を見ていくうちに、各国の実力がかなり拮抗していることもあり、すっかり引き込まれてしまった。今夜も21時から準決勝の試合があるということで、ワクワクしている。

 

 さて、この美人な選手たちは、まさに僕と同世代なのである。彼女たちと僕、これまで歩んできた道の中に接点は全くないのだが、だからこそ、今、日本中のみならず、世界中を興奮の渦に巻き込んでいる彼女たちの姿を見ていると、前職の同期が昇進をして、えっ!?今、あのポストで仕事をしているの??という衝撃も以上に、最近、30代で学生に戻った自分が失ったものばかりに目が向きがちになっているなと感じた。

 

 日本では、一度社会人として働いて学生に戻るという道は、まだまだ完全にマイナールートであると思う。医学部では、高校卒業して5浪や7浪という苦難を乗り越えて、入学をする人や別の大学を卒業した後、もう一度センター試験を受け直して入学する人もたまにいるので、他の学部に比べると、学生の年齢の幅は比較的広めであるように感じるが、それでも僕を含めてこうした学生は完全に少数派である。

 また、少し偏見が入ってしまうかもしれないが、同じように年齢を重ねた人でも、ずっと学生をしていた人と一度社会に揉まれた人ではどこか物事の見方が違うように感じる。後者はいい意味で”若干擦れている”という気がする。

 そんなこんなで、失ったものとしてまず思い浮かぶのは、”ライフステージが近い友人”である。一度、医学部に現役で入学した子たちの集まる飲み会に参加させてもらったとき、事情を知らない子から「君、どこ高出身?」と聞かれたときにはちょっと申し訳ないけど、絶句してしまった。こちらとしては、子供の習い事はどうしようかな、将来的にどんな学校に行って欲しいかな等々がおもな悩み事であるだけに。

 また、役所とかの手続き書類で”職業欄”に”学生”と記載するのが少し恥ずかしかったり、僕はお嫁さんが頑張ってくれているのでかなり恵まれた環境にいるけど、どうしても自分で気兼ねなく自由に使えるお金が少なくなってしまったという、”社会的地位や収入”も、仕事を辞める前は本当の意味ではよくわかっていなかったのだと改めて実感する。

 

 そんなこんなで、正直最近、なんだかモヤモヤするなという状態が続いていたのであるが、僕はそうゆうときには「とにかく悩んでいることや考えていることを文章化する」のが僕には一番あっている感じた。なぜなら、目の見えるところに書き出すと、自分に変えられることと変えられないことが明確化できるからだ。これは役所で働いていたときのできる上司が教えてくれた。

 今の自分の場合、病院での実習で医師の姿を疑似体験させてもらえると、患者さんから「先生(ただの医学生なのですが、、、)、ありがとうね」なんて直接感謝を伝えていただいてもらったときには、こんなふうにエンドユーザーから直接感謝のお声を聞ける仕事はなかなかなくて、やっぱりこの仕事はいいな、将来の仕事としたいなと思えてくる。もちろん、これまでの自分がやってきたことだったり、やってきたことを踏まえてわかってきた自分に何が向いているのか等を考慮して、将来像はより詳細に詰めていかなければとは思うけど、その将来像は僕の場合、まずは”医師”という枠組みの中で考えることはもう揺らがない。そうすると、今のが学生であることは通過点としては変えられないし、変えようとは思わないから、そこで悩んでいても仕方がなくて、逆に今の状況は最大限活用しなければと思えてくる。

 

 今のこの二度目の大学生という時間を最大限の活用するために何をするのかはまた考えねばだけど、ひとまず今できること、そして役所で働き続けていたらきっとできなかったこと、保育園のお迎えにこれから行ってきます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川上から流れてくる赤ん坊をどこで、いつ救うか

 

 新型コロナウイルスの影響を受けて、医学生の学びの場も最近、再び制限がかかり始めている。

 

 医学部での6年間はおそらくどこの大学においても概ね、

1年生:他の大学と同じような教養(医学に関することはほとんどやらないらしい)

2〜4年生:基礎医学(正常な人体の仕組みとは等)

5,6年生:病院での実地研修(各診療科をそれぞれ約1ヶ月間見学させてもらう)

という形で構成されていて、病院での実地研修が始まる前の4年生の秋頃と6年生の冬に国家試験がそれぞれある。

 

 僕は少し前から病院での実地研修が始まったのであるが、実際に中止になってみると、自分は結構、病院での実習が好きだったのだなと感じている。

 

 病院での実習では、入院している患者さんの中から1名を割り当てていただき、先生方の朝夕の診察に同行させてもらいながら、また時には自分ひとりで病室にお伺いして、お話を伺ったり、大変恐縮ながら”診察の真似事”をさせてもらい、また、カルテを見て、主治医の先生方がどのような治療を行っているのかを理解しつつ、1〜3週間かけて、入院時の経過をレポートにまとめるというのが多くの診療科における一般的な流れとなっている。

 

 正直、学生の僕の知識では、”今、何が行われいるのか”を理解するのが一杯一杯で、もし仮に担当する患者さんの容体が悪化して、何か対処しなければ!という状況に直面したとしても本当に文字通り何もできない等々で、色々と自分の至らなさを思い知るのだけれども、それでも、「自分が何のために、誰のために手を動かさなければいけないのかがはっきりしている」点は医療の”現場”ならではのことで、すごく魅力的だなと改めて感じている。

 

 このように感じるのは、前職では全く違う立場で働いていたからなのかなとも思う。僕が働いていたのはほんの数年かついち若手の職員としてであったから、あまり全てを知ったようなことは言えないのだけど、中央省庁での仕事はたしかにスケールの大きな仕事であった。自分が担当していた仕事での出来事が翌日の全国紙の一面なんていうことが日常茶飯事で。ちなみに、そのような場合、その翌日に大臣が「その問題について大臣としてはどう考えていますか?」といった質問が他の記者からなされた場合に、「そんなこと知りません、、、」では大惨事になってしまうので、夜な夜な、その問題に関する資料とどうお答えいただくかの発言メモを整えることも職員の大事な仕事のひとつであった。もちろんそのような仕事は急に発生するので、今日は予定があったのに、、、等、苦い思い出も多数あったりする。そんな影響力の大きい&日本国政府という巨大な組織での仕事であったがために、ひとつひとつの発言に関しても、外部に出すものに対しては、とにかく厳重なチェック体制(決裁を取るべき上司の数がかなりの数にのぼる)が敷かれていたり、関係者がかなり多くにのぼっていた。そのため、結局、自分が担当する目の前のひとつの仕事が誰のため、何のためにやっているのかがすごく見えにくかった。頭のいい人なら就活の時に見抜けていたのかもしれないけど、お恥ずかしながら僕は入職して数年経った段階で、初めてこんなふうに感じて、それが今の転換のきっかけのひとつになっていったのだと思う。

 

 医療現場も行政もどちらもそれぞれ必要な仕事であることはほぼ間違えがないと思う。僕の中でのイメージをもう少し具体化してみると、少し不謹慎かもしれないが、たとえば、川上から赤ん坊を投げ続けている人がいて、その赤ん坊をどこからいつ助けるのかの違いのような気がする。川下にいる人が、とにかく今、目の前に赤ん坊が流れて行ってしまっている子がいるのだから、つべこべ言わず、ひとりずつ、とにかく助けていくのが医療の現場の立場。少し時間はかかるけど、川上まで犯人を探しに登って行って、赤ん坊たちを投げるのをやめさせる、そんな人が二度と出てこないように川に柵を作るをするのが行政の立場。

 

 どちらも必要な仕事であることは疑いがないのだけど、自分がどちらの立場でその問題に取り組みたいのかは、けっこう人によって分かれるのかなと思う。その決断にそれぞれ絶対的な正解はなくて、最後は自分の価値観と要相談で決めるべきものなんだろうか。

 

 すごく幸運なことに僕は両方の立場をそれぞれ経験できそうで、また、自分の価値観としても近い道に自分を置くことができそうで、それを許してもらえた環境の改めて感謝。とはいえ、ふと病院のカルテを覗いて、患者さんの一覧をざっと眺めると、顔と名前が一致する方は本当にごくごくごくごく一部であることにも気づいてしまって、、、

 

 川下にいながら、川上の問題にもアプローチできる方法はまた改めて考えてみないと思いつつ、今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

最初の一歩目のハードルはできるだけ低く設定する。

「最初の一歩目のハードルはできるだけ低く設定する」

 

何か自分にとって新しい物事であったり、やらなければいけないのはわかっているけど気が進まないことを始める時のものすごく効果のあるやり方だと思う。

 

たとえば、仕事終わりの勉強も「1時間がんばるぞ!」は結構僕にとってはハードルが高くてついついスマホに手が伸びてしまっていたのだが、「とりあえず、Listeningの1sectionだけやってみて、あとは気が向いたら考えよう」というスタンスの方が意志の弱い自分にはしっくりきていたのをふと思い出して

 

ということで、このブログにもこれを活用してみることとする。

本当は、ブログの一番最初の記事だから、なんでこのブログを始めようとしたであるとか、どうゆう思い出云々というのを余すところなく文章化したかったのだけども、、、